「やった後って割と『なんだかなー』だよね」問題

「昨日ついに○○とやったんだけどさ、なんだかなー」

「あーわかる。なんかさ、やった後って割と『なんだかなー』だよね」

「そうそう、あんまり上がることないよね」

「ないない」

 

ある雨の月曜日。会社で仕事をしつつ女友達と携帯電話で上記のやり取り。

その日は早朝6時に男の家を出て、タクシーで帰宅。そのままシャワーを浴びて地下鉄で出社。

何度かデートを重ね、とうとう日曜日の夜に彼のマンションへ一緒に行った。

久しぶりにすこし気になる相手だったこともあって、若干緊張しながら腕に抱かれた。

翌朝、昨日着ていた服を着てタクシーでひとり帰宅した。霧雨の月曜日の朝だ。

静かなタクシーの中で、まだ寝ているだろう女友達に連絡。

 

「昨日ついに○○とやったんだけどさ、なんだかなー」

 

悪くない夜だった。悪くない相手との悪くないセックス。

でも、それ以上の言葉が思い浮かばなかった。

 

「なんだかなー」

 

朝9時。新しい化粧と、クリーニングしたばかりの服を着て地下鉄に揺られている。いつもと同じ、新しい1週間が始まる景色。

つけていたイヤホンからはThe BeatlesのOb-La-Di, Ob−La-Da。

 

Ob-La-Di, Ob-La-Da life goes on blah

 

暇な視線は電車の中を見回す。

そこには幸福も不幸も見当たらない。分かりやすい喜びも、一風変わった悲劇もない。ただ、圧倒的な強度を持った現実があるだけだった。

ちょっとやそっとじゃ揺るがない、温度なき堅牢な現実。

 

ふと、むかし何かの本で読んだ話を思い出した。

Ob-La-Di, Ob−La-Daが収録されたLPが発売されたとき、和訳の歌詞カードにはこうあったそうだ。

「オブラディ・オブラダ。人生は続くよ、ブラの上で」

 

それを思い出すと、すこし肩の力が抜けた。

そうだよな、人生は続くよな。容赦なくこぼれ落ちる時間を一瞬でも堰き止めてくれるような魔法はそうそうにない。ときに運良くそんな魔法にかかっても、長続きはしない。

そう、何をしてもしなくても、ただ人生は続いていく。雨の月曜日にも、朝の地下鉄でも、気になる男の腕の中でも、そしておそらく、ブラの上でも。