「じゃあ女の賢者タイムは何時なんだ」問題
男の人には、なにやら「賢者タイム」なる特権的時間があるらしい。
女性の私が見聞きした情報によると、賢者タイムとはすなわち人間がもっとも哲学的になりうる崇高な状態および、それが持続するごく僅かな時間を指すようだ。
人間というのは元来とても愚かにできているが、しかしこの賢者タイムなる間だけは、人類は己の浅ましさから解放される。らしい。
とにかく、賢者タイムとはとてもすごいものらしい。
そして、人類に共通する暗黙の了解で。誰かが賢者タイムの只中にいる際は、その崇高な時間の邪魔は決して許されないという。
どんなに彼らと甘い会話がしたくとも、彼らの精神が見えざる崇高な小部屋から出てくるまで、辛抱強く待つほかない。
そう、こと賢者タイムに関しては、女性は完全に蚊帳の外。
どうやら我々女性には、賢者の部屋に出入りすることは許されていないらしい。
気分次第で抱くだけ抱いて
女はいつも待ってるなんて
坊や、いったい何を教わってきたの
私だって、私だって、疲れるわ
そうである、我々女は男たちの聖域、賢者タイムを前に為す術もなく、待ってばかりで疲れているのである。
そこで疑問を掲げたい。誰もが自明の理を盾に考えもしなかったであろう、この疑問。
はたして、女性に賢者タイムはほんとうにないのだろうか。
実は先日、思いがけず私はこの賢者の小部屋に足を踏み入れてしまった。
それはある土曜日の深夜。
ついさきほど初めての逢瀬を楽しんだ男の家からひとり帰る夜、私は奇しくもその部屋の中にいる自分を見つけた。
そう、私たちはいつもひとりで帰る。玄関で「また連絡するね」などとほざく男の家から、私たちはひとり帰るのだ。
その帰り道、女は研ぎ澄まされた思考で実に淡々とこう思う。
「やっちゃったなー。ま、いっか」
そこには湿った欲望や、無傷の幻想はない。ただ、ひとつの現実を垣間見たばかりの人間がいる。2本足で歩く呪いを課された、考える葦があるだけだ。
そう、女の賢者タイムは帰り道にある。
ひとり、男の家から帰る道の上に、あの小部屋への扉があらわれるのだ。