もしも無人島に持っていくなら

そんな状況に陥ることはまずないだろうけれど、もし無人島にひとりで行くなら持っていく本が2冊ある。無人島の門番にどちらか1冊にしろと言われたらけっこう困る2冊だ。

ひとつは『菜根譚』。これは古い中国の本。

もうひとつは『村上春樹河合隼雄に会いにいく』。これは作家と心理学者の対談本。

 

菜根譚』がどんな本かは割愛するが、ここでは記憶をたよりに、私のお気に入りの話を書きたい。

 

「蝋燭に火を灯し、闇夜に勉学に励むことはたしかに素晴らしい。

しかし、それだけではいけない。勉強を終えたあと、蝋燭の火を消す心を持っていたい。消し忘れてしまった火に飛び込んでしまう虫がいることを、忘れない人間でありたい」

 

たしか、こんな話だったと思う。

私がこの本を開くとき、それは『菜根譚』を読みたい、というよりは、これを書いた洪自誠さんという人と深い部分で溶け合いたい、という気持ちが強いように思う。私が私であること、彼が彼であることを超えて、まさに「溶け合いたい」と思う。

こう言っては語弊があるかもしれないけれど、本に書いてあることは何でもいい。

ただ、「あちら」と「こちら」をつなげるお経のような役割として、そこに彼の言葉がある。

そして、おそらく私にとってはこのお気に入りの話が洪自誠さんとつながる最も効果的なお経なのだと思う。

 

それと似たような理由で、『村上春樹河合隼雄に会いにいく』もとても好きな本だ。ふたりの会話が導く深い場所にある広場で、彼らと溶け合うような感覚に落ちていく。それが心地いい。

 

たしか村上春樹が、自分が書きたい物語について、どこかでこんなことを話していた。

「凍えそうな冬の夜に、自分と奥さんと猫がみんなでぎゅっと寄り添って眠る。強く抱き合っていると、しだいにどこまでが自分で、どこからが自分じゃないのか分からなくなる。気づけば自分はいなくなり、意識は心地よいあたたかさの一部になっている。自分はそんな物語を書きたいと思う」

 

文面はだいぶ違うと思うが、内容はこんな感じだったと思う。とても好きなエピソードだ。

何かと溶け合い、自分の形が不明瞭になる。小さな自分の身体、意識から離れて自由になる。それは、本という安全な場所で感じられたならとても喜ばしい感覚だ。

 

しかしながら、久しぶりに『菜根譚』を開いてみたけれど、私のお気に入りの話が見当たらなかった。何度も人に話すうちに、私が勝手に変えてしまったのだろうか。そんなことはないはずなんだが…。